☆しあわせセラピー☆
〔ひとりさん〕
傷つくのは、誰だって嫌なものだよね。
だけど、さっき言ったように、そこには必ず教えが隠されているんです。
その教えは、大きく2つあってね。
1つには、「こういう言動は人を傷つける」と知ること。
つまり、「自分はこの先人を傷つけるような言動をやめよう」と学ぶことです。
そしてもう1つは、嫌なやつとはつき合わないこと。
さっきも同じ話をしたけど、 こんなに伝えても、まだ我慢して嫌なやつに合わせる人がたくさんいるんだよね。
相手に嫌われるのが怖いとか、離れることでもっと嫌がらせをされるんじゃないかとか、不安でがんじがらめになっている。
〔みっちゃん〕
嫌な相手なら、むしろ嫌われたほうがいいのに、自分のこととなると途端にそう思えなくなるんでしょうね・・・。
〔ひとりさん〕
でもひとりさんに言わせると、そういう弱い波動を出していると、相手はますます図に乗る。
だから、いきなりは距離を取れないにしても、「次に何か言ってきたら、承知しないぞ」「倍返しにしてやる」って思うことだね。
心のなかで言い返すだけでも、波動ってずいぶん変わるから。
あなたの波動が強くなれば、相手もひるんで嫌がらせができなくなる。
近づいて来なくなるんです。
いいかい。平気で人を傷つける相手には近づいちゃいけないし、距離を取ること。
そうすることで、相手はやがて、「自分はどうして人から嫌われるんだろう?」と思うようになる。
そこで、自分が間違った生き方をしていたことに気づくの。愛を学ぶんだよね。
嫌な人とつき合わないのは自分のためでもあり、相手のためでもあるんだ。
〔みっちゃん〕
教えや学びというと、何か立派なことを想像する人も多いと思います。
なんでも笑ってゆるすのが神の教えだと思ったり、嫌なことをされても受け流すのが悟りだとか勘違いしたり。 でも、そうじゃない。神さまの教えって、必ず根底に愛がありますね。
嫌なことは嫌だと言っていいし、人のいいなりになっちゃいけないよって。自分を愛することを教えてくれるのが神の教えです。
〔ひとりさん〕
みっちゃんのいう通りなんだ。
たとえばさ、何か食べたときに、すごくマズいと思ったとするでしょ?
そうしたら、もう二度とそれは食べないじゃない。
食べて具合が悪くなったとしたら、それをまた食べようと思う人はいないよね (笑)
それと同じで、人間関係も、「この人と一緒にいると波動が落ちる」と感じた相手には、近づいちゃダメなの。
〔みっちゃん〕
それなのに、どうすれば嫌な相手を好きになれますかって悩みだすから、アリ地獄みたいにどんどん深みにハマっちゃって・・・。
〔ひとりさん〕
そうだよ。嫌なやつのいいところを探すとか、好きにならなきゃって、そんなの無理に決まってる。
めちゃくちゃ嫌なやつなのに、なぜいいところを探さなきゃいけないの? おかしな話だよ。
斎藤一人 みっちゃん先生 著
『龍のように生きる』より
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