
☆しあわせセラピー☆
人間ってね、努力してもできないこともあるんです。
私も努力することは大好きなんだけど、いくら努力をしても自分にできないこととかって、たくさんあるからね。
そうしたときに私は、これができる人はすごいなって 思うの。
そして、人にまたやさしくなれるんです。
私はこういうふうに考えています。
神様は得意なことを与えてくれたけど、不得意なことも与えてくれた。
でも、神様が私に不利になるようなことは絶対にしないんだって信じてるんです。
だって、私は今まで独りぼっちになったことがないんです。
それで何か私にできないことがあれば、必ずそれの得意な人が現れて助けてくれるんです。
だから、困ったことは全然起きないの。
もしできないことがあったとしても、神がその人のことを困らせようとすることはないんだよね。
できないことがあって、人に助けてもらうとありがたいなって思うよね。
そういうことも含めて、神様は私たちに学びの機会を与えてくれてるんだと思うの。
そう考えると、なんでもできる人って、人に冷たくなるかもしれないよね。
私も、もしかしてなんでも完璧にできる人間だったら、イヤなやつになってたかもしれないなって思います(笑)
つい、「もっと努力しろ!」とか「もっとがんばれ!」って言っちゃうけど、どんなにがんばっても、どんなに努力してもできないことってあるよね。
人間誰でも、苦手なことってあるんです。
私も苦手なことってたくさんあります。
それもみな、神様が与えてくれたものなんです。
苦手なことがあると、自分の未熟を知って、人にやさしくなれるんです。
人間、なんでも完璧にできて人にやさしくないより、完璧じゃなくても人にやさしいほうがいいんです。
できないことがあると人はそれに劣等感を持つんだけど、劣等感って誰にでもあるんです。
でも、それを劣等感だって思うかどうかなんだよね。
それと、さらにそれを乗り越えると、劣等感が宝になるんです。
人前で話ができなかった人ががんばって練習すると、すごくいい話をするようになるの。
それにくらべて、最初からうまく話せる人の話し方って、案外つまらないんだよね。
人ってね、何かを乗り越えて生きていくの。
それで乗り越えるたびに人間的魅力ってできてくるの。
私にもできないことってたくさんあるんです。
だけど、それに劣等感は持っていま せん。
できないっていうのも個性だと思ってるからね。
人の魅力って、自分を変えてきた人ほど大きくなっていくの。
いろんなことに挑戦 したり、自分を変えていくことって魅力につながっていくんです。
マラソンとかスポーツでも、外に向かっていくものは割と挑戦しやすいの。
でも、 自分の内面に向かっていくのって難しいんだよ。
自分の内面を良くしていくって、人には見えないことだからね。
それで、内面を変えていくためには、まず思いを変えないとダメなんです。
私が「思いは大切だよ」って言うのは、人って思わないことはできないからなのね。
それで、思っててもやらないんだとしたら、それは思ってないことと一緒だから。
「感謝してます」とか、「ありがとう」って言えない人っているんです。
そういう人 って、「思ってないことは言えない」って言うんだよ。
それで気にいらなかったら「気にいらない」って言うんだよね。
じゃあ、親に感謝してるんだったら、ちゃんと「感謝してるよ」って言いなってことなの。
私は、「思ってなくてもいいから、口に出して言いな」って言うんだけど、もちろん、思ったうえで言葉に出したほうがいいに決まってるんです。
でもね、「感謝してます」って思ってなくても言いなっていうのは、それを言う瞬問は思ってないと言えないの。
だから、その一瞬でもその気持ちになれたって証なんだよね。
本当は心が伴ってたほうがいいに決まってるけど、それだとなかなかできない人がいるからそう言ってるの。
それでそんな人でも言ってると、必ず起こる出来事が変わってきます。
そうしているうちに、“思い”も自然に変わってくるんですよ。
斎藤一人 著
『変な人の書いた世の中のしくみ』より
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