
☆しあわせセラピー☆
【“ステキの種まき”をしていると、どんどん豊かになるんだよ】
〔ひとりさん〕
昔の映画で『オズの魔法使』というのがあったんだけど。
〔みっちゃん先生〕
お家に帰りたい女の子と、臆病なライオンと、藁でできたカカシさん、ブリキ男が、『オズの魔法使い』に会いにいくお話でしょう?
〔ひとりさん〕
そうそう、その映画に出てくるブリキ男というのは、自分の体はブリキでできていて中が空洞だから「心が欲しいんだ」って、魔法使いにお願いをするのね。
でも本当は、魔法使いに会いに行かなくったって、心があったんだよね。
だって「自分は心が欲しいんだ」って思ったじゃない? ブリキ男は。
「心が欲しいんだ」という思いだって心なんだよ。
それでも「心が欲しいんだ」としたらね、小さなステキをちょっとずつ集めればいいんだよな。
自分の心が「ステキだなあ」と感じるものってあるでしょ。
たとえば、やさしくてステキな人が話す言葉には愛があって、顔から愛が出ていてとかって、あるじゃない?
言葉の選び方とか、しぐさを見ていると「こういうときは、こうすればステキなんだな」とかって思うことがあるでしょう。
そういうものを集めるんだよ。
集めると言ったって、ステキなものを集めようって思うだけでいいんだよね。
なぜなら、自分が心に思ったものと、あとで必ず出会うようになっているんだよ。
〔みっちゃん先生〕
心って、まるで磁石のようですね。
〔ひとりさん〕
そうだよ。心に思ったことを引き寄せるんだよ。
そうやってステキを集めたら、あとは脳が場面に応じて、あのステキな言葉を隣にいるあの人に言ってあげよう、とか。
あいさつするときはあのステキな笑顔をしよう、とか。
脳が自分に指示を出してくれるんだよ。
そうやって、ステキなことを周りの人にしているうちに、心というのは、どんどん、どんどん豊かになっていくんだよね。
〔みっちゃん先生〕
そうやって、ステキなことを周りの人にする、というのも「愛語」でしょう?
〔ひとりさん〕
そうだね、「愛語」だね。
「愛語」って周りの人のことも幸せにするけど、「愛語」で生きている当人も幸せだよ。
だってさ、「愛語」で生きること自体が喜びなんだもん。
そう思わないかい、みっちゃん。
〔みっちゃん先生〕
はい、ほんとに。ありがたいです、ひとりさん。すべてに感謝です。
〔ひとりさん〕
「愛語」で生きること自体が喜びだから、そうやって生きてる人の顔は「愛顔」 といって、愛の波動が出てる顔になるんだよな。
周りの人は、その愛の波動に触れただけで幸せになっちゃうし、その波動が出てる人に、なぜかまた会いたくなっちゃうんだよ。
だから、「愛顔愛語」の人は、絶対、幸せだよね。
「愛語」で生きているのに、ずっと心がモヤモヤしたり、イライラしたりしているんだとしたら、それは自分が自分の魂が求める生き方をしていない、ということなの。
「私のことはいいから、あなただけでも幸せになってね」という観念が、心のどこかにあるかも知れない。
それは、その人なりに「愛」なんだと思うのね。
ただ、その、自己犠牲的な考えを神は「よし」としないんだよ。
大いなる神の願いは、みんなの幸せなんだよ。
「愛語」も、みんなが幸せになる生き方なんだよ。
自分にもよくて、相手にもいいこと、それが「愛語」なんだよ。
斎藤一人 みっちゃん先生 著
『斎藤一人 愛語』より
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