
☆しあわせセラピー☆
【すべてのはじまりは自分です】
自分で自分を満たせる人は、誰かに心のすき間を埋めてもらわなくても、すでに幸せです。
だから、人になにかしてあげるときも、見返りを求めることがありません。
人間ってね、自分が十分に幸せで満たされていたら、自然と、その幸せをみんなにもお福分けしたいと思うものなんです。
井戸の水をイメージするとわかりやすいの。
自分の家の庭に井戸があるとして、そこに少ししか水がなかったら、ご近所さんから水を分けてほしいと頼まれても、いいですよって言えないよね。
「こっちが分けてもらいたいぐらいだ。お金を出してくれるんだったら、分けてあげますよ」なんてことになる。
自分が枯渇してたら、気持ちよく人に差し出せないの。
じゃあ、井戸の水があふれて止まらないぐらい豊かだったらどうか。
あなたが使う水は十分にあるうえに、井戸からあふれてこぼれちゃってるんだとしたら、欲しい人に「どうぞ、どうぞ」って言えます。
町じゅうに、「水があふれてもったいないので、みんなで汲みに来てください」と言って回るかもしれないよね。
汲みに来てくれる人がいたら、水がムダにならなくてよかったと、うれしくなると思います。
井戸の水が意味するのは「愛」なんです。
愛に限度はないから、自分を愛でどんどん満たしていくと、自分は十分に満たされたあとも、豊かな水をたたえる井戸のごとく、こんこんと湧き出るの。
あふれた愛なら、それを必要とする人がいれば気前よく差し出せます。
もともと自分には抱えきれない愛だから、見返りを求めるどころか、受け取ってもらえたらうれしいんだよ。
親切を受け取る側としては、これほど気楽なことはない。
だから、こちらのことを好いてくれて、「なにかお礼がしたい」って言ってくれるの。
それも、自分が差し出した愛より、もっといいものが返ってくることだってあるわけです。
見返りを求めないことで、結果的にものすごくトクをする。
自分で自分を満たせる人は、あふれた愛で周りも満たします。
自分が幸せになっちゃえば、芋づる式に周りを幸せにできるんだよね。
あなたが、あなた自身を幸せにする。
それだけでも、この世の人間を1人救ったわけだから十分に素晴らしい。
でも、1人を救うつもりで自分を大切にしたら、実際には大勢が救われるの。
あなたの愛を受け取った人が、あなたのような生き方にあこがれて自分を大切にすれば、愛の波紋がさらに広がって、世の中はどんどんよくなるよね。
世間では、ボランティアに参加したり、寄付をしたりする人のことを立派だと言います。
そういう人が、社会を変えるのだと。
なら、事情があってボランティアも寄付もできない人は立派じゃないのかというと、決してそんなことはありません。
ボランティアや寄付ができなくても、自分で自分を満たせる人は、それだけで社会の役に立っているんです。
場合によっては、ボランティアや寄付をする人以上に、誰かを幸せにしているかもしれないよ。
ボランティアも寄付も、自分で自分を満たせる人がやるから意味がある。
すべてのはじまりは自分であり、自分で自分を満たすこと以上に、世の中のためになることはないんだ。
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