
☆しあわせセラピー☆
【感謝が感謝を呼ぶ「波動の法則」】
たとえば天気の話なんだけど。普通の人は、晴れの日を歓迎して、雨が降ったり、嵐が起きたりするのを嫌がります。
実際、「いいお天気」と言えば、晴れた日を連想するよね。
だけど、晴天以外はダメなんですかって言うと、そんなわけありません。
出かけなきゃいけないのに雨が降れば、憂鬱になるのもわかります。
じゃあ、そのとき深刻な水不足に陥っていたら?
間違いなく、みんな「恵みの雨だ!」と歓喜するだろう。
農作物にとっても、晴れの日ばかりじゃ困るんです。
嵐だって、人間としては被害が気になるけれど、反面、有害物質などで汚れた大気を一掃し、地球を生き返らせる作用がある。
嵐がまったく起きないのも、それはそれで問題なの。
こういうところに目が向けば、雨や嵐は害悪だけのものではないとわかります。
晴天が続いても、喜んでばかりいられません。
すべては、必要があって起きている。
晴れの日も、雨の日も、嵐の日も、どれも感謝なんだよ。
物事はね、その一面だけに気を取られていると、不平不満や泣き言ばかりになっちゃうの。地獄言葉しか出てこなくなる。
そうすると、また地獄言葉を吐きたくなるようなことが出てくるんだよね。
なぜかと言うと、人生は「波動(エネルギー)」だから。
波動って、この世界のあらゆる生物やモノ、現象の大本なんです。
テレビやラジオ、携帯電話の電波は、目には見えないけど、そこには無数の情報が含まれるでしょ?
電波がなきゃ、画像も、音も、データも、何一つ得ることはできません。
それと同じで、原子(この世のすべてをつくる小さな粒子)の1つひとつにまで波動は宿る。
精緻を極める波動というものがあるおかげで、人間も動物も、モノも、現象も、ここに存在できるわけです。
波動は、神様のエネルギーなんだよ。
さらに、波動には「似たような波動は引き合う」「異なる波動は反発し合う」という特性があります。
つまり、地獄言葉に染まってしまうと、地獄のような人生がもたらされるわけだ。
波動は神様のエネルギーだから、これに逆らうことはできません。絶対に。
だから、地獄言葉を使ってはダメなんです。
うっかり口から出ちゃったときは、「それも感謝」「でも幸せ」のように、天国言葉で打ち消さなきゃいけません。
足が痛いときは、足にばかり意識を向けるのではなく、
「手は自由に動くし、目も見える。耳だって聞こえる。ありがたい」
そうやって痛くないところに感謝するんだよ。
世の中には、手を失った人もいれば、目が見えない、耳が聞こえない人も大勢います。
それらに不自由がないのって、決して当たり前じゃない。
こういうことに気づいて感謝すれば、前向きに考えられるの。
「自分の痛みなんてたいしたことないな」「足に問題が起きたおかげで、人のやさしさが見えて感謝だなぁ」ってなる。
こういう人は、なぜか足の痛みが消えるとか、名医に出会って治っちゃうとか、問題がなくなったりするんだ。
それが、この世界の絶対的なルールだからね。
斎藤一人 舛岡はなゑ 著
『感謝してます!波動を上げる奇跡の言葉』より
https://a.r10.to/hPmAF3
コメント