
☆しあわせセラピー☆
【人はもともと愛で満タンだった】
はじめにお伝えしたように、愛というのは、誰かに教わって習得するものではありません。
思い出すものです。
人はもともと、生まれてきたときには愛が満タンです。
赤ちゃんは愛のかたまりだから、そこにいるだけで可愛がられるんだよね。
お願いしなくてもみんなに守られ、大切に育てられるのは、愛がいっぱいだからです。
愛があると人は幸せを感じるから、愛のある人の周りにはみんなが集まる。
そして集まった人は、幸せをもらったお返しがしたくて、愛のある人にはなんでもしてあげたくなっちゃうわけです。
赤ちゃんを見ていると、そのことがよくわかると思います。
本来、人は誰もが、赤ちゃんのように愛のかたまりとして人生を楽しめます。
ところが、多くの人にとってそれは難しい。
なぜかと言うと、この世界には、魂を成長させるための試練があるからです。
試練は、嫌なことだったり、勇気のいることだったり、表面的には人を困らせるような顔をしていますが、
本質は「自分に必要な学び」であり、そこを見て大事なことに気付かなきゃいけないんだよね。
ただ、人は未熟なの。
困ったことが起きると、反射的に不快感や嫌悪感が出てきて、 そっちに引っ張られます。
試練の見た目に惑わされ、「どうしよう」「大変なことが起きた」と平静でいられなくなるのです。
だからこそ、その奥にある試練を学んだときの成長は大きいわけだけど。
とにかく、人は生きるなかで苦労をしたり、ショックを受けたり、挫折したり、愛を忘れるような場面に多々遭遇します。
そのなかで、いつの間にか愛が枯渇してしまうんだよね。
社会には、愛を忘れた大人が大勢います。
せっかく愛が満タンでこの世にやってきた赤ちゃんも、10年、20年と生きるうちに、 そんな大人たちによって愛を削られてしまうわけです。
親や先生に、「努力しろ」とお尻を叩かれる。
がんばっているのに、人と比べられて「まだ足りない」と否定される。
泣いていても、「我慢が足りない」と突き放される。
愛の灯が、一つ、また一つと消えていく。
子どもたちは、自分が愛の存在であることをすっかり忘れてしまうのです。
もちろん、この世界にはやさしさもたくさんあるからね。
人は、愛にも触れながら生きている。
それでもやっぱり、心から「私は幸せです」と言える人、胸を張って「私は愛がたくさんあります」と言い切れる人は少ないと思います。
ということは、愛の総量が足りていない。
そう言わざるを得ないのです。
じゃあ、愛を取り戻すのは難しいんですかって言うと、そこは神様がうまくつくってくれていてね。
愛は、ろうそくみたいなものなんです。
ろうそくの炎が途中で消えたからって、本体のろうまでなくなることはないでしょ?
それと同じで、愛の灯が消えてしまっても、愛の本体は自分のなかにちゃんと残っています。
しかも、ろうそくのように溶けて短くなるとか、そんなこともない。
愛が消えて何年経とうが、火をつけさえすればまた愛の灯はともるし、その灯は永遠に、あなたを明るく照らしてくれるよ。
斎藤一人 著
『愛』より
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