
☆しあわせセラピー☆
【神の愛により、すべてのことがうまくいっています】
「人はみな幸せになるために生まれてきた」
ひとりさんは、お弟子さんたちに、そう言ってきました。
ただ、人生って、うまくいくときばかりじゃないよね。
誰だって転ぶことがあるの。
それでも、ひとりさんは、
「人はみな幸せになるために生まれてきた」
と言うんです。
それはどうしてなのか。
転ぶことは、「気づいてほしいな」という神さまのサインなの。
神さまってね、たまにわざと転ばせてくれることがあるんだよ。
意地悪で、転ばせるんじゃないよ。
その人の魂を成長させようとして、転ばせる。
それって、神さまの愛なんだよね。
このことが納得できようが、できなかろうが、どっちでもいいの。
それよりも重要なことは、自分が転んだときに、それをどうとらえるか、なんだよ。
なぜなら、どうとらえるかで、人生は違ってきちゃうから。
たとえば、お昼に楽しみにしていた、おにぎりを食べようとしたら、落としちゃったとする。
それを「うわ〜最悪!!!」と否定的にとらえると、文句も言いたくなるし、イライラしちゃうんだよ。
ところが、「おにぎり落としたのは、きっと“食べすぎ注意”ってことだわ」と、肯定的にとらえてみたら、別にイライラしないんだよね。
文句だって出てこない。笑ってお終いなんだよ。
人生において“転ぶ”こともそうなの。
それを肯定的にとらえるか、否定的にとらえるか。
それによって、その後の展開が全然、変わってきちゃう。
“運がいい人”は、転んでも、それを肯定的にとらえるの。
だからこそ、何か“いいもの”を拾うんじゃないかな。
ひとりさんはそう思うよ。
だから、みんなも転んだときはね、
「何か、拾って帰ろ〜♪」ぐらいに、軽く考えたほうがいいよ。
そんなふうに肯定的にとらえれば、“転んだ場所”できっと宝物が見つかるからね。
宝物は、何かの“気づき”だったり、“自分を変えるヒント”だったり、 いろいろあるよ。
財運、仕事運、金運、いろんな“運のタネ”が落ちていることもある。
そう思ったら、楽しいじゃない?
転ぶことが、前ほど怖くないでしょう。
えっ?
「それでも、私は転びたくない」って?
そりゃあ、そうだ、わかるよ。
そういうときのために、この言霊がある。
「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」
この言霊を唱えていると、今後、転ぶようなことがあったとしても、
「転んだ? ラッキー☆」って言えるし、何かを拾うことができる。
なぜだか、わかるかい?
「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」
この言霊に宿る絶対肯定の波動を自分のなかに取り込んでいるんだよ。
波動が変わるの、”運がいい人”の波動になる。
波動が変われば、人生は変わっちゃうんだよ。
斎藤一人 柴村恵美子 著
『どうでもいい どっちでもいい どうせうまくいくから』より
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