
☆しあわせセラピー☆
この前、質問されたの。
ひとりさんにとっての“勇気”って何ですか?って。
自分にできないことや、苦手なことに積極果敢に挑んでいく、その心のことを勇気だと思っている人が多いけど、ひとりさんはどう思いますか?って。
ひとりさんの答え、オレはこう言ったのね。
「勇気」って、人によって違うんだよ、って。
できないこと、苦手なことに積極果敢に挑戦するのも勇気なんだよ。
おそるおそる、一歩、足を出すのも勇気なんだよ。
だから勇気って、何ていうかな。
一歩、足を出すだけで1メートル弱、前に進める人もいるかもわかんないの。
だけど、一歩、足を出したら、ほんの数センチ前に進んだ、という人もいる。
一歩の歩幅は人それぞれ違うんだよ。
みんな違っているのが、いいんだよ。
神は歩幅がどれぐらいかを見ているんじゃないんだよ。
神が見ているのは、その人が足を出すかどうか、なんだよね。
1センチでも足を出したら、「それは貴い一歩だね」って、神は言ってくれるよ。
なぜ、神はそれを「貴い一歩」とみなし、「勇気」とみなすんだろうか。
ひとりさんはこう思ってるのね。
一歩、足を出せる人って、なかなかいないからだ、って。
たった1センチ足を出すだけじゃないかって言うけど、それはあなただから簡単なことなんだよね、って。
だけど「他は我にあらず」というんだよ。
ほとんどの人はそうではないんだよ。
できない人に「できないこと」をやらせるのは、果たして「愛」なんだろうか?
人生で、みんな「正しい道」というのを探しているでしょ?
自分が「正しい」と思うことをやってみる。
それが「正しい道」なんだよね。
ところが、ほとんどの人はそれができないんだよ。
「あなたの思った通りのことをやっていいんだよ」
って言われても、自分の思った通りのことができないんだよ。 足を出せないんだよな。
問題は「なぜ、足が出ないのか」ということなんだ。
足を出せないのは“間違った心のしばり”があるからなの。
人間の可能性というのは、計り知れないんだよ。
それなのに「自分はこんなもんだろう」って、ほとんどの人は信じ込んでいるの。
自分で勝手に限界を作っちゃってるのと同じなんだよ。
斎藤一人 みっちゃん先生 著
『斎藤一人 愛語』より
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