☆しあわせセラピー☆
自分たちがふだん生きてる場所って、仕事をしたり、いろんな人と知り合っていろいろ学べたり、畑だったらいろんな作物がとれたりする、いい場所だよね。
でも、上司のカミナリとか、奥さんのカミナリとかが、落ちてくることもある。
それから、ふだんいる場所というのは、イヤシロ地に対して、ケガレ地といってね。
生きていると、人のしがらみや悪い感情で心やからだがけがれる。
心のエネルギーが失われてきちゃうときもある。
あとさ、生きてると
「いっちょ、やってやるか!」って奮起して、気合いをいれてやらなきゃいけないときもある。
そんなとき、心のエネルギーが減ってきたり、「もうちょっと、いいエネルギーが欲しいな」ってときは、神社に出かけて行くといいんです。
神社っていうのは、魂のお医者さんというのか。エネルギーをもらえるという捉え方でいくと、「気」のお医者さんみたいな場所なんです。
元気の「気」をもらえる場所。
ただ、そういう場所って、ふだん自分たちが生きてるケガレ地のすぐ近くでは、そうそう見かけない。
めったやたらと行けません、っていう人が多いと思うんです。
そういう人は、どうするか。
ほら、御神木って、木でしょ。
「ひとりさん、なにをいいたいんですか?」って、はるか昔の日本には、言葉はあったけど、文字がなかったんです。
それで、木は「き」っていうじゃない?
実は、木も、元気の「気」も同じ意味なんです。
だから、気が衰えてきたとき、木のあるところへ行けばいい。
大木のとこへ行けばいいんです。
森のなかを散策したりする森林浴っていうのが、今、流行ってて、ヨーロッパのほうでも結構さかんに行われてるんだけど。
木も、気も同じ「き」なんです。
昔の日本人は、デカい木のあるところに行って、「き」をもらって、そういうところを大切にしたんです。
だから、神社に行けなかったら、そういうところを探して行けばいいよ、ってことです。
ただ、デカい木も、都市開発やなんかで、最近、減ってきちゃってるからね。
だから、ひょっとしたら、人間がイヤシロ地になるのが、一番いいのかもわかんない。
周りの人に元気の「気」を与え、魂をいやす、イヤシロ人間になる。
そういう人って、世間の人からしたら貴重だよ。
みんなに喜ばれて自分もうれしくて、スゴくいいよ。
斎藤一人 著
『愛される人生』より
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