
☆しあわせセラピー☆
【欲深いのは見苦しいって、それホントかな?】
自分で自分の機嫌を取り、心を満たす。
究極的な話になっちゃうけど、これが完璧にできたら、たとえ自分が全世界から非難されることがあっても不幸にならないんだよね。
自分が自分のいちばんの味方で、上気元(一人さんは、上機嫌をこう書きます)に生きていれば、周りじゅうから嫌われたって関係ない。
自分といういちばんの親友が自分を信じ、愛してくれるわけだからね。
といっても、自己肯定感の高い人は自分も人も幸せにするから、全世界にソッポ向かれることは100%ないんだけど。
それぐらい、自己肯定感というのは自分の支えになるよ。ということが言いたいわけです。
だから、自己肯定感を上げるために、人は自分の「好き」を捨ててはいけません。
それはつまり、欲を持つということなんだよね。
自分で自分の機嫌を取ろうと思ったら、必ず欲がセットになります。
欲深いのは、ガツガツして見苦しい、がめつい、などと言われがちです。
欲を持つと、まるで人の道を外れるようなイメージがあると思われてるの。
でもそれって、昔の人が強制的に庶民に植えつけた感覚なんだよね。
本当は、欲を持つことのほうが神的な生き方です。
いせいし欲が悪いことだと浸透させたのは、その昔、国を治めていた殿様とか、公家とか、 そういった為政者です。
庶民が欲を持っちゃうと、力をつけて言うことを聞かなくなる。それだとマズいから、「清いものは貧しい」という“清貧の意識”をすり込んだの。
人間のあるべき美しい姿は、欲を持たず、貧しいながらも真面目に働くことである。
それが、人として美しい生き方だって。
ようは、特権階級の自分たちだけが贅沢できるようにしたかったわけです。
仕組まれた“デタラメ”だなんて思わず、人々は、貧しさのなか真面目に働いたんだよね。
そうやって何百年と刷り込まれてきた意識は、急には変えられません。
もちろん、時代の流れとともに、「欲を持つのって、そんなに悪いこと?」と疑問を持つ人も出てきて、昔に比べたら自由な世の中になりました。
だけど、まだまだ多くの人は、「欲を持ちすぎると痛い目にあう」みたいな思い込みに縛られています。
欲を持つことを自分にゆるせても、その欲はささやかなものじゃないといけないって、自分にブレーキをかけている。
でもね、そもそも人間に欲があるのは、神様がつけてくれたからです。
この世界は進化し続けるものだから、もし欲が不要なものだとしたら、進化の過程で消えてしまったはず。
にもかかわらず、昔よりも欲を持つ人は増えているし、望みのスケールだってどんどん大きくなっています。
ということは、欲は持ったほうがいいんだよね。
楽しい欲を持てば持つほど人は幸せになるし、世の中も発展する。
それが、神様からのメッセージです。
神様が人間につけてくれたものに、不必要なものなんてないんだ。
もちろん、なかには人を傷つけたり、迷惑をかけたりする、自分勝手な欲を持つ人もいます。
欲を、人を不快にさせる材料にしちゃったり・・・・。
そんな欲を持つことは、たしかに見苦しい。
けど、それってカッコ悪いじゃない。人に嫌われるよな。
欲は欲でも、人に嫌われるような欲を持つのは、決して自分を大切にしているとは言えません。
人に嫌われる自分なんて、少しも楽しくないでしょ?
こういう欲を持つのは、自己肯定感が低い証拠です。
自分で自分を否定することしかできないから、なんとか心のすき間を埋めようとして、がめつくなってるだけなの。
でもね、自分を大切にしだしたら、間違った欲を持つことはなくなります。
自分を愛し、そのままでいいとゆるせたら、自分や人の幸せにつながる「楽しい欲」 だけに目がいくようになる。
楽しい欲は「正しいワガママ」であり、持てば持つほど、みんなを幸せにしてあげられますよ。
斎藤一人 著
「自己肯定感」最強の法則」より
https://a.r10.to/hPKv8e
コメント