
☆しあわせセラピー☆
【「人には向き不向きがある」 というよりも、「向き向き」です】
「人には向き不向きがある」という言葉があるでしょ。
その人、その人に「適していることと、適さないこと」がある、あるいは 「得意なことと不得意なこと」がある、ということなんだよね。
そして、多くの人は、
「人には向き不向きがあるから、自分に向いているものをやればいいんだ」
というふうに、この言葉を使うと思うのね。
私も、ひとりさんは学校の勉強ができないのではなく、「学校に向いていないだけだ」と思っていたんだよね。
さらに言うと、「ひとりさんには学校の勉強は必要がない、ということだ」
と思っていたの。
そして、実際そうなっちゃったんだよ。
たとえば、英語ができないひとりさんには、アメリカ人のカノジョはできなかった(笑)。
仕事で英語を使うこともないし、今後もない。
万が一、英語が必要になったとしても、私の仲間たちのなかには英語が得意な方がいるから、その方に手伝ってもらえばいいだけなんだよ。
ほら、英語ができなくても全然、困らないでしょ。
ただ、ひとりさんはこうも言うの。
「人には向き向きがある。神さまは、人間に個性と長所しか与えないよ」って。
要するに、「これは自分の欠点だ」と思っていること、「苦手だ」と思っていることのなかに、
自分にとっても、周りの人にとっても“いいこと”や “楽しいこと”があるかもしれないよ、って言いたいの。
たとえば、ひとりさんは、昔から、すぐ漢字を忘れてしまうんだよ。
忘れると「あの漢字、どうやって書くの?」「この漢字は何て読むの?」
その都度、周りにいる人に聞くから、ひとりさんはまったく困っていなかった。
ところが、あるとき、つい、うっかり努力をしてしまったんだよね(笑)
その結果、努力は実らず、ひとりさんは忘れてしまうんだよ。
そのとき一人さんは「はっ!!」と気づいたの。
「人間って、努力してもできないことがあるんだなあ」ってね。
それがきっかけで、ひとりさんは周りの人たちのできないことに対しても、
「これはオレが漢字ができないのと同じなんだな」
と、思うようになったんだよね。
もし、ひとりさんが努力をした結果、漢字を覚えられるようになったとしたら、できない人に対して、頭ごなしに「努力だ!」「努力だ!」とせっつくような人間になっていたかもしれない。
逆に、そのように努力を強要する人が、仮に、ひとりさんの目の前に現われたとしたら、その人に「また会いたい」なんて、ひとりさんは思えない。
だから、ひとりさんが「漢字が覚えられない」ことは、ひとりさんにとっても、 周りの人にとっても“いいこと”であって、欠点ではないの。
その意味で言うと、私にとって漢字が覚えられようが、覚えられまいが、 やっぱり、
どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくからなんだよ。
斎藤一人 柴村恵美子 著
『どうでもいい どっちでもいい どうせうまくいくから』より
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